東京高等裁判所 昭和31年(う)1112号 判決
被告人 神作子之吉
〔抄 録〕
所論第四は、原判示第三の事実については、当初詐欺罪として公訴を提起せられたところ、原審はその後検察官の請求により予備的に横領罪としての訴因の追加を許容し、原判示の如く横領の事実を認定しているが、訴追はあやふやであつてはならぬのに、詐欺罪の成立しないことが判明した後に於て訴因の追加を許容し、且つ新訴因につき被告人の認否を求めなかつた原審の措置は失当である旨主張している。然し、刑事訴訟法第三百十二条によれば裁判所が検察官の請求により若くは職権を以て、訴因又は罰条の追加変更を許容し、又はこれを命ずるには、公訴事実の審理に入つた後であることを要するは勿論であるが、その後の時期については格別の制限がないものと解すべきところ、記録を調査するに、原審は公訴事実の審理の過程中なる第八回公判に於て所論の如き検察官の予備的訴因及び罰条の追加請求に対し、被告人及び弁護人より別段異議なき旨の意見を徴したる上、右訴因の追加を許可する旨の決定を為したことが認められるから、原審のこの点に関する措置は適法且つ相当であると云うべく、なお被告人が該公訴事実の主たる訴因を否認していた訴訟の経過にかんがみると、原審が新訴因につき積極的に被告人の認否の意見を求めなかつたからとて、必ずしも違法乃至不当の措置であるとは云われないから、論旨は理由がない。
更に同論旨は、原判示第三に於て被告人が杉本たけの依頼により朝生礼吉より取り立てた金千円を費消したとしても金銭は代替性の強いものであるから、横領罪を構成しない、仮に不特定の金銭が横領罪の目的物となるとしても、金千円の費消は今日の経済観念では曾つての一厘事件にも比すべき程軽微なものであるから、罪とならないものであるというのである。元来、債権の取立の委託を受けた者が、委任の趣旨に従つて、債務者より取り立てた金銭の所有権は、直ちに債権者たる委任者本人に帰属するものと解すべきところ、金銭は所論の如く代替物であるから、委任の趣旨にかんがみその取り立てた金銭の一時使用を許さないような特別の事情の認められない限り、受任者がその金銭の占有中一時これを自己のために費消するも、遅滞なくこれを補填する意思があり、且つ何時にてもこれを補填し得べき十分な資力のあるときは場合により違法性を欠くことにより、横領罪を構成しないこともあり得る。然し、記録を検討すれば、被告人は原判示第三摘示の如く料理店竹屋事杉本たけより同人の朝生礼吉等に対する飲食代金千円の取立方を依頼せられ、原判示日時場所に於て右朝生礼吉より前記代金千円を受領してこれを保管中、その頃これを右杉本に交付しないで、被告人の住居地等に於て擅に自己の業とする木炭買入資金に充当して費消したこと、被告人は当時木炭の取引先に貸込みができ手許が苦しくなつていたので、已むなく本件費消に及んだものであること、及び本件発覚後に至り漸く被告人の実兄より右被害の弁償を為すに至つたものであること等の事情が認められ、これ等を綜合して考察すると、被告人は本件千円を費消する当時手許不如意にて、遅滞なくこれを補填することの困難な事情にあることを十分了知しながら、敢えてこれが費消行為に及んだものであることが肯認し得られるのであるから、原判示の如く被告人に金千円の横領罪が成立することは疑なく、且つ金千円が所論の如く今日の経済社会に於て法の保護に値しない程軽微であつて、これを不正に領得するも、社会共同生活上何等の危険性がないものとは到底認めることができないから、この点に関し敍上の如く無罪を主張する論旨は採用することができない。
以上の如くであつて、論旨はいずれも理由がない。
(中西 山田 石井謹)